『シャディ サラダ館西神平野店(ココロカラギフト)』ギフトコンシェルジュ・谷崎仁子さんインタビュー

『シャディ サラダ館西神平野店(ココロカラギフト)』で、ギフトコンシェルジュとして活躍中のシャイニスタNo.50の谷崎仁子さん。 ギフトコンシェルジュを始めたきっかけから家族と共に歩んだ現在に至るまでの道のり、ギフトに向けた強い思いまでを伺いました。
シャイニスタ
谷崎 仁子 (たにざき よしこ)
ギフトコンシェルジュ

家族の支えと共に成長した日々

谷崎仁子 取材03

──現在の活動で転機となった人との出会いや出来事について教えてください。

東京での仕事を辞めて、一緒にこの仕事を始めてくれた夫の存在が一番大きいですね。

夫のすごいところは、揺るがないところ。
毎朝出勤すると店内から店の周りまでを丁寧に掃除し、店舗の向かいのバス停まで掃除をするため近所でも話題になるほどなんです。
「くすんできたらダメだから、お店は常に磨かないと」と夫は言うのですが、そのずっと変わらない姿勢は本当に尊敬します。

──素晴らしい旦那さまですね。仕事だけでなく、子育てにも協力的だったんでしょうか。

子育ても常に一緒になってしてくれていましたね。
私たち夫婦には一人娘がいるのですが、その娘がまだ幼い時に忘れられない出来事がありました。

お店で接客中の私に「ママ!ママ!」と言って駆け寄る娘を夫が呼び止め、「今はお前のママじゃない。今はお客様が一番なんだから。」懇々と諭す夫の声が聞こえてきたんです。
そのとき娘の泣いているのがわかり、娘に申し訳ないと私も泣きそうになりましたが、同時に一生懸命娘に言い聞かせてくれている夫に感謝しました。

それからは、仕事が終わった瞬間「お仕事終わり〜」と私がいうと娘が駆け寄ってくるのが日課になり、まずはギューッと抱きしめていましたね。
今は大学生になった娘ですが、そんな夫のサポートのおかげで、素直な子に育ってくれたと思います。

[ad#ad-responsible]

──それでは、現在までに起きた最大の試練は何でしたか。

私の父親の急死です。
問題ないと思っていた心臓手術途中に不測の事態が起こり、意識が戻らないまま1ヶ月後に亡くなりました。
母は突然父をなくしたショックで仕事ができなくなってしまって。
私はというと、経営者としてすべてを把握していた司令塔がいなくなり、この先どうすればいいのかの迷いとプレッシャーに押し潰されそうになっていました。

──その試練をどのように乗り越えられたのでしょうか。

そんな時も、全く変わらない夫に救われました。
毎朝の掃除も変わらずにし続けていましたし。

父の死後、葬儀までの数日、私は家族に心配をかけまいと1人になったときに涙を流していたんです。
でも当時10歳の娘は全く涙を見せないので、不思議だなと思っていました。
お葬式の時もずっと私の手をぐっと握っていて、その手の力強さにしっかりしなきゃと自分に言い聞かせていました。

でも、最後の出棺のときには「おじいちゃん…」と言って涙を流す娘を見て、やっぱり娘も悲しかったんだなと思ったんです。
その後に夫から聞いた話なんですが、「ママが一番悲しいんだから、僕たちは泣かないようにしようね」と父子で約束していたそうなんです。

夫のおかげで大きな試練を乗り越えられましたし、父の死をきっかけに家族みんなが人間的にも成長したように感じました。

ギフトの無限の可能性を実感した出来事

谷崎仁子 取材01

──活動を通して新たに手に入れたものや、自身の変化はありましたか。

ギフトに対する気持ちはより高まりましたね。
最初はギフトには限界があると思っていたんですが、今はギフトって無限だなと思います。

以前、3歳のお子さんを亡くされたご夫婦が香典のお返しのため、四十九日の法事が終わった後に来店されました。
香典返しには挨拶状もつけるんですが、サンプルの文章を見たお母さんが「おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったみたい…」と言って、その内容を嫌がられました。

では、オリジナルのメッセージカードをお贈りしましょうかと、出産祝いのサンプル文章をお見せしたんです。
すると、「こんな可愛いの、いいんでしょうか?」と言いつつも目が輝かれたようだったので、「この方がいいと思われるなら、私はこれにしてもいいと思いますよ」と返答しました。

お子さんは生まれた時から心臓が悪かったそうで、出産の際にはこのようなメッセージカードを贈れなかったようだったんです。

谷崎仁子 活動07

ご両親はお疲れのご様子だったので、カードのデザインと文面は私が担当することにし、熨斗紙と包装紙も通常のものにこだわらず、黄色の花柄のものをセレクトしてお見せしました。
するとお母さんが「娘の棺も同じような黄色の花柄だったんです」と言って、棺に入った娘さんの写真を見せてくださったんです。
「わぁかわいいですね」といいながら一緒に涙を流しました。

そして後日、これで気持ちが少し吹っ切れる気がしますとの連絡をいただきました。

この出来事から、これが人の心と心をつなぐギフトなんだと実感したんです。
普通がいい人もいるけれど、それだけじゃない人もいる。
ギフトってもっと温かいものにしていかなきゃいけないんだと強く思うようになりました。

そして、17年間ギフトコンシェルジュとしてこの仕事をしてきたからこそ、今回のような提案が自信を持って出来たんだと実感しています。
昔からの決まりもあるけれど、こういう新しいカタチがあってもいいんじゃないかと思うんです。

一人ひとりの気持ちに寄り添うギフトコンシェルジュに

谷崎仁子 取材04

──最後に、谷崎さんの今後の「夢」について教えてください。

ギフトのスペシャリストとしてお客様から頼りにされる存在になるとともに、お客様の心に寄り添えるコンシェルジュでありたいと思います。

お店では、色々なお客さまとの出会いがあります。
ご主人を亡くされてショックで泣いているお客様の横にずっと寄り添うことで、その方の気持ちが自分の中に入ってきて、ギフトのカタチが見えてくることもあります。
またお店がオープンした24年前からずっとお付き合いがある方もいて、長い人生の中のどこかでずっと接点を持ち続けている方もいます。

私たちの仕事は人生全部。
結婚や出産のお祝い事から、仏事のことまで、ギフトは様々なシーンで関わります。
ギフトは人の心を温かくするツールだと常に認識して、お客様一人ひとりの気持ちに寄り添いカタチにするギフトコンシェルジュになることが夢ですね。

──谷崎仁子さんにとって夢とは
谷崎仁子 取材02

1 2

この記事のシャイニスタ

ギフトコンシェルジュ
谷崎 仁子 (たにざき よしこ)
子育て中でも自分の夢に向かってできる準備はきっとあるはず。少ない時間も無駄にしないで、いつか夢を掴んでくださいね。
この記事が気に入ったら
いいね ! しよう