合同会社Roof(ルーフ)代表・浦田遥さんインタビュー

シャイニスタNo.046の浦田遥さんは、合同会社Roof(ルーフ)を立ち上げ、まちづくりの専門家として活躍中。 住宅設計の道に進んだきっかけや、理想とする暮らしの在り方について伺いました。 心地よいまちづくりにかける、浦田さんの探究心と行動力は必見です!
シャイニスタ
浦田 遥 (うらた はるか)
まちづくりシンクタンク合同会社Roof 代表

タウンマネージャーとしてのキャリアを歩み出す

浦田遥 活動内容05

──大学院卒業後に、会社を辞めて現在の活動をスタートされたんですか?

2年間勉強した後、学んだ知識を生かすにはどのようなキャリアがあるのかを模索していました。
目指している活動内容と近かったのが、タウンマネージャーという仕事だったんです。
卒業後1年間ほどは住宅設計の会社でそのまま働いていたんですが、縁あって、東京都青梅市が立ち上げた中心市街地活性化協議会という組織で、サブタウンマネージャーとして働くことになりました。

大学院卒業後に結婚したのですが、主人は大学の修士が終わった後に都市計画のコンサルタントの仕事をしていて、3年間の博士課程に戻ろうかというタイミングだったんですね。
そこで、しばらくの間は自分が働き、主人は学生をすることに。
浦田遥 活動内容06

ちょうどタウンマネージャーの仕事に就任した時は、彼の博士課程が残り1年半という状態でした。
主人が博士過程を終えた後は転勤生活になることが分かっていたので、自分がいなくなっても回っていく仕組みを作り出す、という事を意識して仕事をするようになりましたね。

──ご主人の転勤についていく生活となると、ずっと同じ場所では働けないという事ですよね。最初の勤務地はどこに決まったんでしょうか。

主人の勤務地は海外の中でいくつか選択肢があったんですが、その中からオランダにしてほしいとお願いしました。
実は、青梅市など地方のまちづくりにおいては、人手不足が深刻でした。
その分、都心よりもモノや空間だけでなく人材も役割を「兼ねる」シェアリングの成長の可能性を感じることが多かったんです。

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モノや空間と違って、特に育児や介護といった部分においては、責任が重いので、信頼関係があって初めて負担を分けあうことができますよね。
誰でもいいとは言えないわけです。
そこで、顔の見える関係性を築きやすい地方だからこそ、そういった責任の重い分野のシェアリングのモデルケースがつくれるのではと感じました。

ヨーロッパはシェアリングが盛んなので、主人の転勤について行きいろいろと勉強したいと思ったんです。
結局、オランダを拠点に半年ほどヨーロッパのシェアリングとコミュニティスペースの運営などを勉強し、帰国後は現在暮らしている兵庫県明石市に住む事になりました。

転勤族の妻であるという試練が転機に

浦田遥 活動内容07
──帰国されてからは、しばらく専業主婦をされていたんですか?

半年ほどは専業主婦でした。
明石に移り住んだ当初は、ほぼ知り合いもいないし本当に孤独で。
オランダ時代は、移住初日から外国人家族の為のグループを紹介される手厚い支援があり孤独とは無縁だったので、余計に辛かったですね。
仕事も無く子供もいないと社会に属せない、ということを実感しました。

そこで、まずはまちの人達に「なぜ今の活動をしているのか。理想とする暮らし方はどのようなものか」という事を聞くため、1ヶ月間毎日知らない人と会って話すことに決めたんです。
それを聞けば、何か役に立てることがあるかもしれないと。
そして他にも、日本における子育てシェアの元祖であるファミリーサポートを勉強しに講習会に行き、住んでいたマンションの集会所で周りの主婦達とカフェを開くなど、動き出したことで友達が増えました。

──凄い行動力ですね。そこから、現在の活動に繋がっていったんでしょうか。

自分で定めた1ヶ月の間で最初に出会ったのが、「こども食堂」をしている人達と、貧困家庭の教育支援をしている学生達だったんですが、いずれも経済的な課題や、人の輪が増えていかないという悩みを抱えていたんです。

両方の活動は、子供たちが困ったときに頼れるつながりを増やしたいという想いが根底にあったので、それに適した良い場所は無いかと探していたところ、団地を再生してシェアスペースを作りオーナーと一緒に運営している、住人の佐伯亮太さんを紹介してもらいました。

その場所で、最初の1ヵ月で知り合ったまちづくりの専門家たちと一緒に、誰でも参加可能なオープンな会議を5ヶ月間重ねてイベントを開いた結果、最終的に80人ほどが関わる活動となり、現在も不定期に続いています。
浦田遥 活動内容08
その後、色々な方に声をかけていただく機会が増えて、合同会社Roofを佐伯さんと一緒に立ち上げることになったんです。
核家族時代だからこそ、家族の単位を変えて一つ屋根の下、皆で暮らして楽しさも負担も分け合おうという意味を込め、社名はRoof(ルーフ)としました。

──試練を糧に行動した結果、思いがけない出会いやチャンスに繋がったという事ですね。
活動を始めて、最初にぶつかった壁があれば教えてください。

  
なんでもできるスーパーマンのように思われた事ですね。
自分は都市計画や人のつながり方、参加のプロセスデザインについては助言できるんですが、そのまちの人や背景を詳しく知らないのに、空き家問題などのトラブルを全て解決するのは不可能です。
最初は自分で頑張って答えを出そうとしていたんですが、分からないことに関しては素直に周りに助言を求めればチームで解決できる、という事を痛感しました。
それに気付けてからは、壁が壁では無くなりましたね。

──活動をする中で、転機となった出会いや出来事はありましたか?

Roofを立ち上げる前のオランダ時代になるんですが、ドイツのマザーセンター創設者であるヒルデガルド氏との出会いです。

その施設は、ドイツでは「多世代の家」とも呼ばれているコミュニティ施設で、40年前に彼女も含めた主婦3人がランドリールームの一角で立ち上げ、今ではドイツで500箇所、世界で1000箇所以上に増加しました。
浦田遥 活動内容09
マザーセンターでは、託児所付き就労支援、介護、母親教室、年齢混合保育、カフェ経営など、同じ施設内で様々な活動が地域住民主体で行われています。
ただ助け合うだけではなく、その延長上には自立があってその中でお金が回っていく、というまさに自分が理想とする素晴らしい実例であり、衝撃的な出会いでした。
運営の仕方など非常に勉強になりましたし、帰国後も彼女と連絡を取り合い研究を続けています。
浦田遥 活動内容10
この活動は、心理学者でもある創設者メンバーの一人が、活動の心理的メリットについて論文を書き、国内外に一気に広がったんですね。
日本や海外には既にたくさん良い事例がある。
それを客観的に分析して他の地域でも展開できるようにする役割なら、転勤族の自分でもできるのではないかと直感しました。

それ以外にも、青梅市での仕事、転勤族の妻になった事それぞれが、現在の活動に繋がる転機となりましたね。

──活動を通して、浦田さん自身の変化や何か新しく手に入れたものはありましたか?

昔は全てを自分で把握したい完璧主義だったんですが、人に頼れるようになりました。
それに、自分が一人で描いていたゴールよりも、みんながそれぞれの専門性や凹凸を活かして一緒に目標に向かう方が、ずっと良いものができるという事が分かったんです。
転勤族の妻になり、自分が最後まで面倒見きれない状況に陥った事が、返って良かったのだと思います。

大切な人たちが幸せに暮らせるまちを作りたい

浦田遥 取材06
──最後に、浦田さんの夢や目標があれば教えてください。

家族や友達、行く先々で関わり大切な存在になるであろう人達、そして自分自身も幸せになれるようなまちづくりを目指したいですね。
今後も不定期に転勤がありますが、国内外どこであっても、その地域の人達が「仕方ないよね」と諦めていることを一緒に変えていき、一人でも多く心地よく暮らせるように活動して行く予定です。
また、ドイツのマザーセンターは日本にはまだ無いんですが、いずれ日本で立ち上げることが出来るならば、何か力になりたいと思っています。

──浦田遥さんにとって夢とは
浦田遥 にとって夢とは

撮影/松浦静香
取材・文/AyakoSugimoto

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記事を書いた人

まちづくりシンクタンク合同会社Roof 代表
浦田 遥 (うらた はるか)
挑戦したいこと、困っていることがでてきたら、是非井戸端会議しましょう!きっと沢山の仲間が応援してくれるでしょう。私も是非、その一人でありたいなと思っています。
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