合同会社Roof(ルーフ)代表・浦田遥さんインタビュー

シャイニスタNo.046の浦田遥さんは、合同会社Roof(ルーフ)を立ち上げ、まちづくりの専門家として活躍中。 住宅設計の道に進んだきっかけや、理想とする暮らしの在り方について伺いました。 心地よいまちづくりにかける、浦田さんの探究心と行動力は必見です!
シャイニスタ
浦田 遥
浦田 遥 (うらた はるか)
まちづくりシンクタンク合同会社Roof 代表
シャイニスタNo046 浦田遥

なぜ、あなたは輝きはじめたのですか?

転勤族の妻になり退職した事で、自分の人生における主導権のなさや積み上げてきたスキルを活かす場のない無力感に気づいて、孤独に陥った時期がありました。

しかし、なんとか自分らしい形で社会に属したいと思い立ち、まちの人達がどんな活動をしているのか、どんな暮らしをしたいのか意見を聞く為、1ヶ月毎日知らない人と話すと決めたんです。

試練を逆手に取って実際に活動を始めた事で、思わぬ出会いやチャンスに恵まれて、同じ志を持つ仲間とRoof(ルーフ)を立ち上げるに至りました。

浦田 遥

みんなが心地よい暮らしを作りたい!まちづくりシンクタンク「合同会社Roof(ルーフ)」代表・浦田遥さん

浦田遥 取材01
──最初に、浦田さんの現在の活動内容について教えてください。

2016年11月に合同会社Roofを立ち上げ、住んでいる人達が心地よく、自分らしく暮らせるようになるプロセスをお手伝いする、まちづくりコンサルタントとして活動しています。
心地がよいという基準は人それぞれですよね。

そこで、「あなたのやりたいことの最初のファンになります」というコンセプトを掲げ、自分が欲しい暮らしを自分でつくれるように、まちづくりの知見を活かして実現までのプロセスをサポートしています。

例えば「こども食堂」を作りたいと相談があったとしても、ただ単に子供に無償でご飯を食べさせる場所が欲しい、という訳ではありません。
悩みを深く掘り下げていくと、子供自身が自分でご飯を作れるようになって欲しい、子供が困った時に頼れる人を増やしたい、というのが本当にやりたい事なんです。
浦田遥 活動内容01
そのような本来の目的を整理し、達成するまでの具体的な仕組みを提案し、その為に必要な人材や資源と相談者を繋いで実行。
そして、それが上手くいけばさらに展開していく、という4段階のプロセス(分析・仕組み化・実行・展開)を様々な分野で行っています。

──様々な分野というのは、具体的にはどのような分野でしょうか。

農業分野から福祉や教育の分野、特産品開発や空き家対策など行政の分野まで、本当に多岐に渡ります。
共通するのは、未来に残していく意味のある内容にすること、持続可能にするために地域で仕事やお金をまわすように意識していることです。

例えば、2年に一度全国の女性町長が集まって、まちづくりに関する意見交換を行う「全国女性町長サミット」が開催されるんですが、2017年度は兵庫県播磨町で開催されたんです。
その時に、出席者の方達がコサージュをつける事が決まっており、造花でブローチを作れないかと播磨町の方から相談がありまして。
浦田遥 活動内容02
サミットのテーマの一つが「女性の活躍」だった事もあり、以前「女性や障がい者の活躍に貢献したい」とおっしゃっていた水引の女性職人の方に、花に見立てた物を制作出来ないか相談しました。
水引の花の土台となるミラーアクリルのブローチ部分は、大阪から播磨町へ越してきて、面白い着眼点でまちを分析されていた銅版画作家の女性に播磨町をイメージしたデザインをお願いすることに。

そして、そのデザインをレーザーカッターの機械に取り込み量産する作業に関しては、好きな時間に出来るという事で、毎月わざわざ場所を借りてお茶会をしている主婦の方達などを起用して、皆でお茶を飲みながら作業しました。
浦田遥 活動内容03
作業場所には、「ファブラボ」というデジタルからアナログまでの多様な工作機械を備えた、市民に開かれた工房を利用させていただきました。
また、梱包は障がい者の方達にお願いしているんですが華やかな仕事だと、とても喜んで作業して頂いています。

まち全体で全ての工程を賄い一つの価値ある製品を作りだし、その中でお金が回り、携わる人みんなが幸せになるウィンウィン(win-win)な仕組みを作ることが出来ました。

プロジェクトを考えるときは、仕事の役割に人を当てはめているわけではありません。
まちの人の普段の声をよく聞いておいて、その人達の望みを実現する仕事にできないかと考える中で企画やつながり方のアイディアが湧いていくことが多いんです。

そうすると、皆がハッピーでやる気になり、勝手にどんどんつながった人同士で商品を改良したり、新しいプロジェクトが始まったりするのが、本当に面白いです。

核家族の子育ての難しさに直面した大学時代

浦田遥 取材02
──活動を始めようと思ったきっかけは何かあったんでしょうか。

一つ年上の義姉ととても仲が良いんですが、当時、東京に住み、若くして出産した彼女は子育てをきっかけに適応障害という病気になってしまったんです。
こうありたいという理想の母親像と、彼女が本来持っていた社会に貢献したい、人生を楽しみたいという素直な気持ちとの間にギャップが生まれてしまったことが原因なのではないかと感じていました。

「母親だからしょうがないよね」と、諦めることが必要以上にたくさんあり過ぎたというか。
彼女の姿は、そのまま未来の私の姿のように感じて、「彼女がハッピーに暮らすには、まちや暮らし、周りの人との関係がどうなったらいいんだろうか」という疑問から、活動は始まりました。

自分は茨城県土浦市という郊外で育ち、年の差がある5人兄弟の2番目でした。
1番下の弟は10歳年が離れていて、赤ちゃんの頃から皆で面倒を見るのは当たり前で、のびのびと楽しかったのを覚えています。
しかし、大学進学で上京した時に義姉の状況を目の当たりにして、子供を育てる目線で見直せば、それがいかに難しく窮屈なものなのかを実感しました。

最先端の子育て支援施設などでアルバイトもしてみましたが、そもそも都市の道路や建物の空間には余裕がなく、子ども一人連れて歩くのも気を使う。
困ったときに負担をシェアできるつながりや仕組みもあまりに少なく、子育て当事者だけでは解決できない問題だと感じました。

その事がきっかけとなって、それまで全く興味が無かったまちづくりというものを意識するようになりました。

──現代の社会問題を身近で経験したんですね。大学卒業後は、まちづくりのお仕事につかれたんですか?

大家族の中で育った自分だからこそ提案できることがあるかもしれないと思い、注文住宅の会社に新卒で就職して営業設計の仕事につきました。
住宅設計や都市計画の分野でバリバリ働いているのは、男性や子供のいない方が多いんです。
浦田遥 取材03
子育ての中で一番多くの時間を過ごすのは家であり、その家が暮らしやすい空間であれば何か貢献出来るのではないかと思ったんです。

しかし就職して3年経った頃、仕事内容はやり甲斐があったんですが、自分一人では年間に家10軒しか変えられないし、家だけ残ってまちが衰退すれば暮らしが維持できず、意味が無いと考え始めました。

そして、空間だけでなくて人のつながりでまちを暮らしやすくしたいという自分と同じ志を持った人達が増えれば、まち全体が活性化していくに違いないと気づきまして。
まちづくりを勉強しようと思い立ち、試験を受ける条件であるまちづくりに関わる分野における2年以上の実務経験をクリアしていたので、決めてから2ヶ月後には受験して都市計画を学べる大学院に入学したんです。

時間帯などを考慮された社会人向け大学院だったので、大学院に通えるように仕事の調整をしてもらいつつ、会社で働きながら2年間勉強しました。

──大学院では、具体的にどのような勉強や研究をされていたんでしょうか。

人がどうやってつながれば良いネットワークが生まれて場が発展するか、排除される人たちを社会に巻き込んでいけるかなどを考えて、実践的な数値で提案する方法や仕組みを勉強しました。
浦田遥 活動内容04
具体的な結果や分析を先に数字にして見せる事で、提案を採用してもらいやすくなるんです。
来ている方は皆さん建築や土木、行政、交通といった専門性を持っている方達で、それぞれが違う視点から、より良いまちづくりに関して意見を出し合うんですね。

その時に、専門家が集って共同でまちづくりを行うと、とても良いものが出来ると分かりました。
しかしそれでもこの超高齢社会に対する明確な答えはまだ無く、それぞれの分野で新しい答えを見つけようと試行錯誤している段階だというのが現実です。

タウンマネージャーとしてのキャリアを歩み出す

浦田遥 活動内容05

──大学院卒業後に、会社を辞めて現在の活動をスタートされたんですか?

2年間勉強した後、学んだ知識を生かすにはどのようなキャリアがあるのかを模索していました。
目指している活動内容と近かったのが、タウンマネージャーという仕事だったんです。
卒業後1年間ほどは住宅設計の会社でそのまま働いていたんですが、縁あって、東京都青梅市が立ち上げた中心市街地活性化協議会という組織で、サブタウンマネージャーとして働くことになりました。

大学院卒業後に結婚したのですが、主人は大学の修士が終わった後に都市計画のコンサルタントの仕事をしていて、3年間の博士課程に戻ろうかというタイミングだったんですね。
そこで、しばらくの間は自分が働き、主人は学生をすることに。
浦田遥 活動内容06

ちょうどタウンマネージャーの仕事に就任した時は、彼の博士課程が残り1年半という状態でした。
主人が博士過程を終えた後は転勤生活になることが分かっていたので、自分がいなくなっても回っていく仕組みを作り出す、という事を意識して仕事をするようになりましたね。

──ご主人の転勤についていく生活となると、ずっと同じ場所では働けないという事ですよね。最初の勤務地はどこに決まったんでしょうか。

主人の勤務地は海外の中でいくつか選択肢があったんですが、その中からオランダにしてほしいとお願いしました。
実は、青梅市など地方のまちづくりにおいては、人手不足が深刻でした。
その分、都心よりもモノや空間だけでなく人材も役割を「兼ねる」シェアリングの成長の可能性を感じることが多かったんです。

モノや空間と違って、特に育児や介護といった部分においては、責任が重いので、信頼関係があって初めて負担を分けあうことができますよね。
誰でもいいとは言えないわけです。
そこで、顔の見える関係性を築きやすい地方だからこそ、そういった責任の重い分野のシェアリングのモデルケースがつくれるのではと感じました。

ヨーロッパはシェアリングが盛んなので、主人の転勤について行きいろいろと勉強したいと思ったんです。
結局、オランダを拠点に半年ほどヨーロッパのシェアリングとコミュニティスペースの運営などを勉強し、帰国後は現在暮らしている兵庫県明石市に住む事になりました。

転勤族の妻であるという試練が転機に

浦田遥 活動内容07
──帰国されてからは、しばらく専業主婦をされていたんですか?

半年ほどは専業主婦でした。
明石に移り住んだ当初は、ほぼ知り合いもいないし本当に孤独で。
オランダ時代は、移住初日から外国人家族の為のグループを紹介される手厚い支援があり孤独とは無縁だったので、余計に辛かったですね。
仕事も無く子供もいないと社会に属せない、ということを実感しました。

そこで、まずはまちの人達に「なぜ今の活動をしているのか。理想とする暮らし方はどのようなものか」という事を聞くため、1ヶ月間毎日知らない人と会って話すことに決めたんです。
それを聞けば、何か役に立てることがあるかもしれないと。
そして他にも、日本における子育てシェアの元祖であるファミリーサポートを勉強しに講習会に行き、住んでいたマンションの集会所で周りの主婦達とカフェを開くなど、動き出したことで友達が増えました。

──凄い行動力ですね。そこから、現在の活動に繋がっていったんでしょうか。

自分で定めた1ヶ月の間で最初に出会ったのが、「こども食堂」をしている人達と、貧困家庭の教育支援をしている学生達だったんですが、いずれも経済的な課題や、人の輪が増えていかないという悩みを抱えていたんです。

両方の活動は、子供たちが困ったときに頼れるつながりを増やしたいという想いが根底にあったので、それに適した良い場所は無いかと探していたところ、団地を再生してシェアスペースを作りオーナーと一緒に運営している、住人の佐伯亮太さんを紹介してもらいました。

その場所で、最初の1ヵ月で知り合ったまちづくりの専門家たちと一緒に、誰でも参加可能なオープンな会議を5ヶ月間重ねてイベントを開いた結果、最終的に80人ほどが関わる活動となり、現在も不定期に続いています。
浦田遥 活動内容08
その後、色々な方に声をかけていただく機会が増えて、合同会社Roofを佐伯さんと一緒に立ち上げることになったんです。
核家族時代だからこそ、家族の単位を変えて一つ屋根の下、皆で暮らして楽しさも負担も分け合おうという意味を込め、社名はRoof(ルーフ)としました。

──試練を糧に行動した結果、思いがけない出会いやチャンスに繋がったという事ですね。
活動を始めて、最初にぶつかった壁があれば教えてください。

  
なんでもできるスーパーマンのように思われた事ですね。
自分は都市計画や人のつながり方、参加のプロセスデザインについては助言できるんですが、そのまちの人や背景を詳しく知らないのに、空き家問題などのトラブルを全て解決するのは不可能です。
最初は自分で頑張って答えを出そうとしていたんですが、分からないことに関しては素直に周りに助言を求めればチームで解決できる、という事を痛感しました。
それに気付けてからは、壁が壁では無くなりましたね。

──活動をする中で、転機となった出会いや出来事はありましたか?

Roofを立ち上げる前のオランダ時代になるんですが、ドイツのマザーセンター創設者であるヒルデガルド氏との出会いです。

その施設は、ドイツでは「多世代の家」とも呼ばれているコミュニティ施設で、40年前に彼女も含めた主婦3人がランドリールームの一角で立ち上げ、今ではドイツで500箇所、世界で1000箇所以上に増加しました。
浦田遥 活動内容09
マザーセンターでは、託児所付き就労支援、介護、母親教室、年齢混合保育、カフェ経営など、同じ施設内で様々な活動が地域住民主体で行われています。
ただ助け合うだけではなく、その延長上には自立があってその中でお金が回っていく、というまさに自分が理想とする素晴らしい実例であり、衝撃的な出会いでした。
運営の仕方など非常に勉強になりましたし、帰国後も彼女と連絡を取り合い研究を続けています。
浦田遥 活動内容10
この活動は、心理学者でもある創設者メンバーの一人が、活動の心理的メリットについて論文を書き、国内外に一気に広がったんですね。
日本や海外には既にたくさん良い事例がある。
それを客観的に分析して他の地域でも展開できるようにする役割なら、転勤族の自分でもできるのではないかと直感しました。

それ以外にも、青梅市での仕事、転勤族の妻になった事それぞれが、現在の活動に繋がる転機となりましたね。

──活動を通して、浦田さん自身の変化や何か新しく手に入れたものはありましたか?

昔は全てを自分で把握したい完璧主義だったんですが、人に頼れるようになりました。
それに、自分が一人で描いていたゴールよりも、みんながそれぞれの専門性や凹凸を活かして一緒に目標に向かう方が、ずっと良いものができるという事が分かったんです。
転勤族の妻になり、自分が最後まで面倒見きれない状況に陥った事が、返って良かったのだと思います。

大切な人たちが幸せに暮らせるまちを作りたい

浦田遥 取材06
──最後に、浦田さんの夢や目標があれば教えてください。

家族や友達、行く先々で関わり大切な存在になるであろう人達、そして自分自身も幸せになれるようなまちづくりを目指したいですね。
今後も不定期に転勤がありますが、国内外どこであっても、その地域の人達が「仕方ないよね」と諦めていることを一緒に変えていき、一人でも多く心地よく暮らせるように活動して行く予定です。
また、ドイツのマザーセンターは日本にはまだ無いんですが、いずれ日本で立ち上げることが出来るならば、何か力になりたいと思っています。

──浦田遥さんにとって夢とは
浦田遥 にとって夢とは

撮影/松浦静香
取材・文/AyakoSugimoto

記事を書いた人

浦田 遥
まちづくりシンクタンク合同会社Roof 代表
浦田 遥 (うらた はるか)
挑戦したいこと、困っていることがでてきたら、是非井戸端会議しましょう!きっと沢山の仲間が応援してくれるでしょう。私も是非、その一人でありたいなと思っています。
シャイニスタNo046 浦田遥
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