多世代型介護付きシェアハウス運営/絵描き・首藤美幸さんインタビュー
支え合える大家族の暮らしの良さを広めたい
── ご夫婦で現在の活動を始めるようになったきっかけは何でしょうか。
結婚した頃、主人の実家で暮らしていました。
その時、自分の子供や姪も含め、14人くらいの大家族で暮らしていたんです。
その生活がとても良かったんですよ。
今の活動はこのときの経験が元になっています。
── どういう経緯でそれほどの大家族で暮らすことになったんですか。
「おめでとう、これから二人頑張るねんで」
結婚の意思を伝えた時、主人の祖母が言ってくれた言葉です。
その時、しっかりとした祖母が少し寂しそうに見えて、あえて離して暮らす必要があるのかなと思ったんですね。
それで、『一緒に暮らせばいいのでは?』と思い、みんなで一緒に暮らすことにしました。
始めはみんなビックリしましたが、同じ時期に結婚した義妹夫婦も一緒に住んでくれ、子供も姪っ子も産まれどんどん家族の人数が増えて賑やかになっていきました。
人数が増えれば増えるだけわかったんですが、大家族って本当に暮らしやすいんです!
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── どういうところが暮らしやすかったんでしょうか?
男手が多くて力仕事はやってもらえるし、お母さんも4人いたので交代でご飯の用意をするにしても、週に1〜2回でいい。
そしてご飯を作ったら誰かが洗い物をしてくれて、掃除もお風呂の準備も誰かがやってくれるんです。
ごみ捨てや洗濯もそうですね。
確かに人数の分だけ量は多いのですが、あれもこれもと全部する必要はありませんでした。
── 確かに家事も子育てもお母さん一人でやっているより、負担が分散しますよね。
そうなんです。
オムツが切れたら隣の部屋の義妹に借りれば良いし、買い物したければ子供も見ていてもらえる。お風呂もまとめて誰かが入れてくれる。
『こんな生活ってすごい!』って感動していました。
一人暮らしの時、寂しくて「神様、もう少し賑やかに暮らしたいです」と祈ってみたこともあったけれど、まさかの14人ですよね。
始めは多すぎって思いましたが、これが楽しく、しかも楽なんです。
他人でもあり、家族でもあるという環境が心地良かったですね。
その頃から、多世代のシェアハウスのようなものがあってもいいんじゃないかなと考えるようになったんです。
この頃の生活が『はっぴーの家』の原点になっているんだと思います。
失敗の経験を重ねることが自信につながった
── 活動を始めて最初にぶつかった壁は何ですか。
絵描きとしては、自信がなかったことですね。
独学だったこともありますし、経験が浅かった。報酬も、相手が出してくださる金額をそのまま受け入れていました。
自分の出来ない仕事も引き受けてしまったり、無理な期限で引き受けてしまったりして苦しんだこともあります。
── それはどのようにして乗り越えたのでしょうか。
少しずつ自分の実力と経験が身についてきた感じです。
だんだんと自分が得意な仕事のやり方がわかってくるようになり、最初の頃よりちゃんとした
値段で受けられるようになって、期限も無理をしない形を伝えられるようになりました。
自分と真摯に向き合うことで手に入ったもの
── 活動を通して転機となった出会いや出来事があれば教えてください。
たくさんありすぎて、どれか一つとは言えないんですよ。
いいことも、とてもショックなこともあって。
でも、今まで起こってきたことの全てが私を変えました。
いろんな経験をしてきたことで、ただぼーっと毎日をなんとなく生きるのではなく、生き切ってやりたいと思えるようになりました。
いつもどこか逃げていた。
それをやめ、どの出来事に対しても、一つひとつが自分を成長させるためにある壁なんだと思い、逃げずに正面からぶつかっていった事が今の自分を作っていっています。
── では、活動をする中で新たに手に入ったものやご自身の変化はありますか?
やっぱり人だと思います。
この両方の活動をしてから、日は浅くても深いつながりの人にたくさん出会えました。
自分を確立していて「私はこれが楽しいからやっているんだ」という人との出会いが本当に多いです。
そして、そういう人は私の大事にしているものも大事にしてくれて、すごく気持ちのいい距離感を保ってくれるんですね。
以前、自分に自信が持てず、周りの人に真摯に向き合えていなかった時期がありました。
近づいてきてくれてもこちらが壁を作ってしまっていて、気付けなかったところもあったと思います。
でも今は、自分が前を向けたからか、人との距離が近くなる事が素直に嬉しいんです。
この記事のシャイニスタ
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