コリアンダンサー/コリアンパーカッショニスト・趙恵美さんインタビュー

コリアンダンサー、コリアンパーカッショニストとして活動しながらスタジオ講師も務めるシャイニスタNo.044の趙恵美さん。 ダンスを辞めざるを得なかった経験、ルーツと向き合い掴んだ表現、子どもを持ってからの変化など、心動かされる話を伺いました。
シャイニスタ
趙恵美
趙恵美 (ちょう へみ)
コリアンダンサー/コリアンパーカッショニスト
シャイニスタNo044 趙恵美

なぜ、あなたは輝きはじめたのですか?

子どもの頃にコリアンダンスを始めてから、私にとって踊ることは食べたり眠ったりと同じくらい自然なものなんです。
だから将来を考えたとき、プロのコリアンダンサーになりたいと思いました。

自分が在日コリアンであることで葛藤を持つ場面もありましたが、そういう複雑さも含めて自分は自分だと受け入れられるようになった頃、あることに気づいたんです。
北と南の両方を見てきて、そして日本に住む私だからこの3つの文化全てを表現できる。それは私の特権なのではないかと。

そう考えてからは、もっと自由に自分の表現をしていきたくなって、フリーで活動することにしたんです。

趙恵美

パフォーマンスを通じて人に喜怒哀楽を共有する!コリアンダンサー/コリアンパーカッショニスト・趙恵美さん

趙恵美 活動内容02

── 現在の活動について教えてください。

「遊合芸能チングドゥル」というグループで、コリアンダンサー・コリアンパーカッショニストとして活動しながら、「スタジオ・長田教坊(ながたきょばん)」でコリアンダンスとコリアンパーカッションの講師を務めています。

── グループでの活動では、どのようなことをしているのでしょうか。

小学校や中学校、地域のイベント、結婚式の披露宴などでの公演、グループでの自主公演も行なっています。
お声がけいただいたらどこにでも飛んでいきますね。

趙恵美 活動内容01

昨年は沖縄、九州、四国と日本各地へ行きました。
グループはコリアンダンサーの私、シンガー、和太鼓、コリアンパーカッションの4人で、活動を始めて12年ほどになります。

── それでは、スタジオでの活動について教えてください。

スタジオは2016年の11月に開きました。
建物の1階はスタジオ、2階が自宅になっています。

もともとは個人レッスンをしていて、生徒さんがいらっしゃるところに出向いていましたが、子どもを産んでからは毎回子どものための場所を用意してもらうのも大変で…。
それで自宅兼スタジオを構えて、今は木曜日以外の平日にレッスンを開催しています。

── コリアンダンサーになろうと思ったきっかけは、何かあったのでしょうか。

高校で進路を決めるときに、ダンサーとしてプロになりたいと思ったからです。
9歳でコリアンダンスを始めてからずっと踊ることが大好きで、時間さえあれば踊っている子どもでしたから。
それで卒業後にプロの朝鮮舞踊団に入団して、コリアンダンサーとしての活動を始めました。

ダンスを辞めなければならなくなった最初の壁

趙恵美 取材01

── プロのダンサーとなって、最初にぶつかった壁は何ですか。

入団2年目に、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)での研修を受けに行った時のことです。
私がヘルニアを患っていたことから、先生にダンサーを辞めるように命じられて、強制的にパーカッショニストへ専攻を変えられたんです。

ダンスをしっかり学ぶつもりで本場の地へ来たら、ダンサーを辞めなければいけないなんて言われても、その場ですぐには受け入れられなくて。
とてもショックでした。

── それほどのショックを受けて、どのように乗り越えたのでしょうか。

とりあえず3日間だけ思いっきり泣いて、気持ちを切り替えようとしました。
研修には団の同期のメンバーも参加していて、彼女たちは毎日どんどん学んでいくんです。
いくらショックだったとしても、私だけ何も学ばず断念して日本に帰るという考えは持てなかったんですね。
だから泣ききった後は、パーカッショニストとしてリズムを理解していたら、また腰が良くなれば踊ることに役に立つと頭を切り替えて、残りの期間で必死にリズムを学びました。

それで、日本に帰ってきてからはパーカッショニストとして活動することになりました。
ただ、数ヵ月習った程度ではプロとして不十分で舞台に立てないのと、太鼓は朝鮮よりも韓国の方が盛んだったこともあって、もっとパーカッショニストとして学ぼうと韓国の舞踊団に移ることにしたんです。

自分だからこそ表現できる3つの文化

趙恵美 取材02

── パーカッショニストとして活動するようになってから、再びコリアンダンサーとして活動するまでには、どのようなことがあったのでしょうか。

舞踊団で急にダンサーが出られなくなり、フォローが必要になった公演があったんです。
それで先生からダンサーとして出ないかと言われて。
朝鮮舞踊は結構アクロバティックな動きが多いのですが、韓国舞踊はゆったりした動きなので、それならできるかなとまた少しずつ踊り始めたんです。

ただ、私がここに来たのはパーカッショニストとしてリズムを理解して、また自分なりに踊れるようになりたかったから。
そう考え始めると舞踊団のなかで韓国舞踊家として育てられる状況を、少し窮屈に感じるようになったんですね。
それでもっと自由に活動をしていきたい気持ちが強くなり、退団してフリーでやっていくことにしたんです。

── 退団して、どういうことをしてみたくなったのですか。

ここに至るまでに北も南も見た経験から、分かったことがあって。
それは、北の先生も南の先生も踊りの基本軸としては同じこと言っているんです。

国が別々になっても、昔から共有されてきた根っこの部分は変わらない。
そういう部分に興味を引かれていました。
私は在日コリアン4世として、そういう両方の文化を理解している上、更に日本の文化も分かる。
これらの全てを表現できることは、ある意味自分の特権なんじゃないかなと思ったんです。

グループを結成したきっかけ

趙恵美 活動内容04
── それでは、「遊合芸能チングドゥル」としての活動を始めることになった経緯を教えてください。

ソロの活動を始めた頃、韓国と日本の間を往来する客船で、知り合いのコリアンパーカッショニストが公演依頼を受けていることを知りました。
そのパーカッショニストが現在の夫なのですが、彼が私の所属していた舞踊団にサポートで参加していたこともあり、先輩・後輩のような間柄だったんですね。
その頃、高校時代の友人から「恵美、ソロで活動しているなら、同世代の和太鼓グループがあるから、そこにチャング持って行ってみたら」と紹介してくれて行ってみることにしたんです。

行ってセッションをしたら息が合い、一緒に舞台に立つなどして、色々な作業をしているところにきた話が、先輩からの船内公演の相談だったんです。
そこで私から、韓国と日本の間を行く船だから、両方の国のものが観られるパフォーマンスをするといいんじゃないかなと提案してみたんです。

そして、在日コリアンアーティストであるコリアンパーカッショニスト、コリアンダンサー、
コリアンシンガーに加えて、日本の和太鼓奏者2人に声をかけ「親舊達(チングドゥル)」という名前を付けて、船で公演をしたんです。
このときはまだ短期のプロジェクトという感じでした。

すると、「日本のもの韓国のものも楽しめて、それらが融合した形のものも見られる」とすごく反響があって。
これで終わりにするのはもったいないとメンバーみんなが感じて、グループを結成することになりました。

──「遊合芸能チングドゥル」という名前はどういう意味を持っているのでしょうか。

メンバーに在日コリアンと日本人がいることで、朝鮮半島と日本それぞれの芸能や文化が融合し、遊び合う芸能を目指していることから「遊合芸能」。
そして、韓国語で友人や仲間を意味する「チング」に「ドゥル」という複数形を付けた造語「チングドゥル」。
日本語に訳すと、仲間たちという意味になります。

音楽と踊りは国境を越え、お年寄りでも子どもでも誰もが一緒に楽しむことができるんだよ、というメッセージを持っているんです。

子どもを産み育てることで得た変化

趙恵美 活動内容05
── 現在の活動をするなかで、転機となった人との出会いや出来事はありますか。

息子の存在ですね。
妊娠9ヶ月まで舞台に出て、産んだ後は2ヶ月で復帰しました。
夫がいつも一緒にいてメンバーの理解もあったため、子連れで活動することにしたんです。
子どもがいる生活というのは、一人の身体で活動していた頃とは肉体的にも精神的にも大きな変化があって、私自身がその変化を受け入れるまでには混乱もありました。

でも、もし子どもがいなかったらギアチェンジもせず、前の活動の延長線上にあるものしかできなかったと思うんですよ。
以前の私には拠点というものはなく、旅芸人のように動き回るスタイルだったんですね。
息子がいるからこそ、ギアが入ってスタジオも構えましたし。
今は以前より自分の軸やこの先目指すものについての考えが、より濃く、強くなったんです。

── 拠点を置き、戻ってくる場所を持つというのは大きな変化ですね。

そうですね。
子育てと言うけれど、親である私たちが息子に育てられているように感じています。

徹底的に向き合い乗り越えたパートナーとの試練

趙恵美 取材03
── では、現在までの活動のなかで最大の試練は何でしょうか。

今まさに、試練の中にいると言えるかもしれません。
ここまで猪突猛進という感じで走り続けてきたんですが、気づけば私と夫は仕事でも家庭でも全てにおいてのパートナーとなり、ずっと一緒にいる状況になりました。

子どもを産むまでは自分たちのことを優先させて、いつでもいくらでも話し合いができた。
十何年も一緒にやってきたことで、お互いのこともよく理解していた。

そういう形で歯車がうまくかみ合っていたんだと思います。
それが私も出産で変化しながら、息子のことやスタジオ、グループの活動を優先していくなかで、私と夫のことを考える時間を後回しにしてしまい、お互いの歯車のかみ合わせがうまくいかなくなったんですね。

── その状況をどのように乗り越えようとされたのですか。

芸事をしていると、音やしぐさにその時の気持ちの状態がそのまま表れてしまうんです。
そういう状態になって、改めてお互いが考えていること、目指すこと、何を大切にしていくかをとことん話し合いました。
話し合ったことで、近すぎる距離だからこそ適度なガス抜きや、お互いを尊重する気持ちが必要なんだと分かったんです。

それからは、コミュニケーションの取り方を変えることにしました。
約束事を書くノートを作ったんです。
家族、夫婦、仕事のことを混ぜて話すと忘れてしまうところもあるので、ノートに書いてお互いにちょっと考える時間を持つように。
そして仕事の話は1階のスタジオだけでする、2階の自宅には持ってこないというルールも決めました。
今は、夫と私の目的地は一緒だということを確認して、以前とは異なる新しい形を模索しているところです。

焦らずにいつか叶えたい夢に向けて

趙恵美 取材04
── 最後に、今後の夢を教えてください。

現実的な目標としては、40歳で自分のリサイタルすることです。
そしてもう一つは、いつかオフ・オフ・ブロードウェイの舞台に立つこと。ただ、これについては焦る気持ちはないんですね。
縁やチャンスを逃さずに活動を続けて、還暦の頃の自分でその舞台に立てたら素敵だなと思っています。

生きていく上でのスタンスは、これまでと変わらないです。
今の時代はみんな喜怒哀楽を持ちながらも、素直に表現できず抑えることの方が多いと思うんですね。
私たちは自分の心を素直にして芸を磨いていくものなので、自身では表現できなくても観るだけで共感できるようなパフォーマンスをしていきたいです。
スタジオでも、日常から少し離れた異空間を生徒さんに感じて体験してもらうことをこれからも続けていきたいですね。

── 趙恵美さんにとって夢とは
趙恵美さんにとって夢とは

撮影/松浦静香
取材・文/Sachiko Kikutani

この記事のシャイニスタ

趙恵美
コリアンダンサー/コリアンパーカッショニスト
趙恵美 (ちょう へみ)
やりたいと思ったこと、やってみたいと思ったこと、心が動いたものに対して素直に飛び込んでみてください。子連れであっても何とかなるさ☆
シャイニスタNo044 趙恵美
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