介護士/ヨガ講師/開脚インストラクター・村松文子さんインタビュー

なぜ、あなたは輝きはじめたのですか?
その後、多胎妊娠のために目指していた看護師への道も諦めていた時、夫の母が私には福祉が向いていると後押しをしてくれて、福祉の勉強の為に通信制大学に入学することにしたんです。
同じ頃に、NPO法人「ママの働き方応援隊」の活動にも参加することで人との繋がりができて、現在の活動に繋がる機会をいただくことができました。
あらゆる人と人が繋がるサポートを!介護士とヨガ・体操講師を両立する村松文子さん
── 現在の活動内容について教えてください。
多世代交流型介護付きシェアハウス「はっぴーの家」で介護士として働きながら、ヨガ講師として週1回ヨガのスタジオレッスンを受け持ち、自分が主催する「だちヨガ」の会を月1回程度開催しています。
それ以外にも、生活支援・介護予防サポーターとして月に2〜3回程度、近隣の児童館や高齢者の集うサークルなどで健康体操を教えています。
── 「だちヨガ」の会ではどのようなことをしているのでしょうか。
1時間半程度の時間でウォーミングアップから筋トレ、ヨガを順番に行って、終わった後にみんなでお茶を飲みながらお喋りをして解散します。
近所のママたちと話していた時に「体を動かしたいけれど場所がないね」という話から始めたこともあって、参加者の多くが近隣の方なので、皆さんが通いやすい自宅近くの施設を借りて行っているんです。
── 健康体操では、どのようなレッスンをされているのですか。
年輩の方、障がいを抱えた方の健康維持や筋力維持のための体操が主体で、ストレッチや簡単な筋力トレーニングなどを行っています。
── さまざまな活動をする中で、さらに「はっぴーの家」で介護士として働くようになった経緯を教えてください。
NPO法人「ママの働き方応援隊」の代表理事である合田三奈子さんから、「あなたの好きそうな、面白いことをする施設ができるよ」と教えてもらったのがきっかけでした。
その施設とは、多世代交流型介護付きシェアハウスと表現される高齢者施設。
まだ施設が建つ前に、「地域にどんな場所があったら嬉しいのか」という声を集めるため、地域の誰もが自由に参加できるワークショップが複数回開かれ、私もそこに何度か参加させてもらいました。
そして、私も含めた地域の人が求めているのは「エンターテインメントな場所」でした。
「高齢者施設にエンターテインメント性をもたせる」とはどのようなものだろうと、ますます興味がわき、当時は介護の資格は持っていませんでしたが、施設の代表に「この施設で働きたい」という思いを伝えたところ、オープニングスタッフとして採用してもらえたんです。
「はっぴーの家」では資格がなくても働けるのですが、どうせやるなら仕事の幅を広げてみたいと思い、介護の資格も取得しました。
── 介護士をしながら、ヨガや健康体操の講師として活動するのは大変ではありませんか。
「はっぴーの家」では、他の仕事に合わせて勤務時間を調整してもらえているので支障がないんですよ。
例えば、昼からヨガのレッスンがある場合は勤務を午前中のみにするというように、時間を融通してもらっているのでとても助かっています。
難病乗り越え、多胎妊娠を経て福祉の道へ
── 今の活動を始める前は、何をされていたのでしょうか。
子どもの頃から体を動かすことが好きだったので、大学卒業後はフィットネスクラブに就職して8年間勤め、施設管理マネージャー等の管理職も経験しました。
その後、祖父母の介護のサポートを行うために神戸に移住し、神戸市総合福祉ゾーン「しあわせの村」の温泉健康センターにあるスポーツ施設に転職したんです。
そこで働いている間に長男を出産し、育休後に復帰して、7年間ほどヨガを含む運動指導と施設の運営管理業務をしていました。
そして多胎妊娠がわかった際に「しあわせの村」を退職して、福祉関係の通信制大学の三年次に編入学し、在学中の出産と1年の育児期間を経て卒業したんです。
大学入学と同じ時期に、妊娠したら必ずやりたいと思っていたNPO法人「ママの働き方応援隊」の赤ちゃん先生としての活動も始めたので、しばらくは妊娠出産、学業、NPOの活動を並行して行っていました。
── 現在の活動を始めるきっかけは何だったのか教えてください。
多胎児(妊娠当初は三つ子)を妊娠して「しあわせの村」を退職したことがきっかけですね。
長男を産んだ後に「血小板減少性紫斑病」という難病にかかった経験があること、高年齢での
多胎妊娠や出産が超ハイリスクであると医師から告げられたため、万が一の時は職場に迷惑がかかると思い退職することにしました。
もともと退職後は看護師を目指すつもりでいたのですが、無事に出産できてもまだ幼い3人の子どもを抱えて看護師を目指すのは難しく、諦めざるを得なくなったんです。
社員としての安定収入がゼロになり、超ハイリスクと言われた妊娠で一気に2人も家族が増えることもあり、これからどうなるのかと不安でしかたありませんでした。
そんな時に義母が私には福祉に向いていると後押しをしてくれて、福祉関係の勉強をする為に大学へ入学することにしたんですね。
そして同じ頃に、NPO法人「ママの働き方応援隊」の活動を始めて出産後の道筋や活動基盤ができて安心しました。
地域に根差した活動を通して人脈が広がった事で、運動指導の機会をいただいたり、「はっぴーの家」を教えてもらったりすることもできたんです。
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