Hoolp Company (フールプカンパニー)代表・mamiさんインタビュー

なぜ、あなたは輝きはじめたのですか?
帰国後に介護士を退職し、フープスクール開校を目指して、身体作りとフープダンスの猛練習を開始しました。
30歳にしてゼロからの無謀なチャレンジに周りは大反対でしたが、絶対大丈夫という確信がありましたね。
日本中にフープダンスを広げたい!Hoolp Company(フールプカンパニー)代表・mamiさん
── 現在の活動内容について教えてください。
フープスクールを運営する「Hoolp Company(フールプカンパニー)」の代表を務めながら、自らも講師としてフープダンスインストラクターとパフォーマーの育成に取り組んできました。
インストラクターは自分も含めて6人在籍しており、地元である奈良を始めとして、大阪・京都・三重でそれぞれ教室を担当しています。
教室は、5歳から小学生対象のkidsクラス、中学生対象のJrクラス、18歳から上限なしの一般クラスとあり、クラス内容はレベルによって初級・中級・上級に分かれています。
エクササイズコース(一般)、フープダンスコース(一般、kids、Jr)、フープパフォーマンスコース(kids、Jr)、インストラクター養成コース(認定資格18歳以上)の他に、プライベートレッスンとして、マンツーマンの個人レッスンと5人以上での出張レッスンも可能です。
今は関西での活動だけなので、今後は全国に広めていきたいですね。
日本各地にスタッフがいて、各々の場所でインストラクターが育っていってくれるのが理想です。
── 教室以外の活動も、何かされているんでしょうか。
フープダンスショーの出演依頼を、国内・海外問わず受け付けています。
指定パフォーマーだけでなく、グループ、キッズなど、依頼者側のご希望に沿った演出が可能です。
これまでも、各種ダンスイベント、祭会場、ホテルや商業施設など、数々の場所で出演してきました。
他にも、ごきげんブランニュ、探偵ナイトスクープ、ちちんぷいぷいなどのテレビ出演を始めとして、各種メディアへ取り上げていただいた経歴があります。
30歳にしてゼロからのスタート
── フープダンスを始めようと思った最初のきっかけは、何かありましたか?
もともとは、4年間介護士の仕事をしていたんです。
介護士になって3年目にフープダンスと出会い、介護福祉士の国家資格を取得した後、すぐに退職しました。
フープダンスと出会ったのは、アメリカへ移住した大親友に会いに行った時です。
その頃、アメリカではフープダンスが大流行していまして、友人はフープダンスを始めて一年で新人賞をもらって活躍していたんですね。
その姿があまりにも輝いていて、昔の彼女とは別人でした。
フープダンス自体もまた、とてもカッコよかったんです。
そんな彼女を見て、「自分もやりたい!」と強く思ったのと同時に、「これは絶対に日本で流行るに違いない」と確信したんです。
── フープダンスとの衝撃的な出会いだった訳ですね。
そこからは、どのような経緯で活動を開始されたんでしょうか。
帰国後に仕事を辞めてからは、「一年後にフープダンスの教室をする」という目標を決めて、身体作りとフープダンスの練習に明け暮れました。
6時間スポーツジムに通い、その後8時間ダンスの練習をする、という生活をほぼ毎日続けたんです。
日本のフープダンス先駆者であるフープ東京で、エクササイズ&フープダンスの資格も取得しました。
周りの友人や母親からは、介護士を辞めるなんて勿体ない、しかもフープダンスで生計を立てるなど出来るわけが無いと猛反対されましたね。
しかし、逆にその猛反対が活力となって、絶対に成し遂げてやると気合いが入りました。
そして決意表明通り、一年後の2009年6月6日にフープスクールを開校したんです。
── まさに、有言実行ですね。
教室を始めてから、何か最初にぶつかった壁はありましたか?
やはり、日本ではまだまだフープダンスの認知度が低いこともあって、集客には苦労しました。
始めてから半年間は全く生徒が集まらなくて。
資金も無かったので、手作りのチラシを配っていましたね。
最初は友達が生徒になってくれて、次は友達の友達、という感じで徐々に生徒数が増えていきました。
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