フィットネスインストラクター・﨑元宏美さんインタビュー

偶然の出会いから始まった「チャレンジド・ヨガ」
── 現在の活動をする中で、転機となった出会いや出来事はありますか。
たくさんあって絞り切れないのですが…。
会社と掛け合ってアルバイト主婦だった私を社員として働かせてくれた、名古屋のスポーツクラブのマネージャーとの出会いはやはり大きかったですね。
その他にも、「関西にある知人のスポーツクラブに紹介しておいたよ」と言ってくれた名古屋時代の上司や、神戸で最初にヨガ教室を開いたカルチャー施設の方との出会いも転機でした。
さまざまな方が、私のことを気にしてくださったおかげで、少しずつ仕事が増えていきました。
それから現在力を入れている活動で、「チャレンジド・ヨガ〜視覚障がい者のためのヨガクラス」の教室があるのですが、これを始めるきっかけとなった出来事も大きな転機といえますね。
神戸視力障害センター近くのカルチャー教室でヨガを指導していた時、歩行訓練中のセンター職員(歩行訓練士)の方が、私のヨガ教室のチラシ内のプロフィールに「障がい者スポーツ指導員資格」があることを発見していただき、視力障害センターに通われている方に向けてヨガを教えてくださいとの話をいただきました。
そしてセンターに通われている方にヨガ指導を始めたのですが、訓練の期間が終わってしまったらセンターに通うことができない決まりがあるため、最長期間の6ヶ月を過ぎると、もうヨガ指導を受けられなくなるんです。
このことからずっと、「あの人は元気にしているのかな。もっと一緒にヨガをしたかったな」と考えるようになり、もやもやした気持ちを抱えていました。
そんなタイミングで、ちょうどチャレンジド・ヨガの教室から声をかけてもらったんです。
── 今までも数々の転機があったかと思いますが、これはすごいタイミングですね。
そうですね。
もともと自分の中で、下の子が小学校に上がるまでは家庭に支障のないくらいの仕事量でと思っていたのですが、ちょうど子どもが一年生になるタイミングだったこともあり、私自身もチャレンジできる時でした。
本当にいろんなタイミングでいろんなことが起きて、何か一つでも欠けていたら今がなかったかもしれません。
さまざまな経験を経て手に入れた勇気
── 現在に至るまでの最大の試練は何でしたか?
二人目は切迫早産と言われたため、ずっと寝ていなければいけない時期が3ヶ月ほどありました。
動けないと体力も落ちますが、気力が一番落ちてしまって、「ずっとベッドに横になって、何をしているんだろう。元の身体や体力に戻れるのかな」と、すごく不安になりましたね。
そこで、身体が動かないなら何かしなきゃという感じで、妊娠期間中に健康運動指導士の資格を取るために勉強をしました。
── 現在の活動をはじめたことで、新たに手に入れたものや自身の変化はありますか?
飛び込む勇気は、どんどん出てきています。
「子どもが小さいからできない」ではなくて、自分自身が「今だ!」というタイミングが、やるタイミング。
自信のあるなしよりも一歩進んでみる勇気のあるなしが大事で、悩んだら「やる!」と思うようになりました。
あとは、活動に子どもを巻き込んでもいいと思ってきているところもありますね。
例えばチャレンジド・ヨガに子どもを連れていって、目が見えない方をトイレに連れていってもらったり、更衣室への手引きをさせたりと、サポーター役をさせたことがあります。
それは決してマイナスではないし、子どもを巻き込んでも私が真剣であればいいんじゃないかなと、楽に考えるようになりました。
最近はいろんな人を味方に付ける、巻き込むところがあるかもしれませんが、うれしいことに主人や子どもも応援してくれています。
社会に少しでも役立つ自分でありたい
── 最後に、﨑元さんの今後の夢や目標を教えてください。
「スマイルスペース」という場所をやろうとしたとき、建物の1階にもともとデイサービスセンターがあって、すごくいいなと思っていたんです。
ターゲットを絞らずにいろんな年齢層に合わせた運動を幅広く提供して、家族三世代を繋ぐことができたら、これからの日本の社会のためにもいいかなと考えています。
そして大きな部分でいうと、社会と繋がることをしていきたいですね。
高齢化社会で役立つことや、子育て世代に喜ばれることを提供できればとも思っています。
体力があり元気なら健康というわけではなく、目に見えなくても心身が健康でない方もいます。
そういった社会が抱えている問題に、私がちょっとでも役立てばと考えています。
── 﨑元宏美さんとって夢とは
撮影/松浦静香
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