魚料理研究家・戸田美保子さんインタビュー

魚食普及活動として、魚料理教室「Fresh Kitchen」を運営するシャイニスタNo.017の戸田美保子さんは、漁師のご主人が経営するお寿司屋もサポート。 魚を触れなかったことを克服した経緯や教室のコンセプトなどについても伺いました。
シャイニスタ

道を切り開いてくれた二人の恩師

戸田 美保子 取材02
── 現在の活動を始めてから、転機となった出会いや出来事はありましたか?

二人の恩師と出会ったことが転機となりました。
一人は漁連の講座で教えてくれた師匠。
知識やさばき方など魚の全てを教えてもらった恩師であり、この仕事を楽しいと思わせてくれた方です。
その方と出会えたことで、私も魚料理を伝える仕事をしたいと思えました。
戸田 美保子 活動内容04
そしてもう一人は。パンと家庭料理専門の先生です。
漁連の講座と並行して料理も習いに行ったのですが、その先生に背中を押してもらったことにより、実際に教室をスタートすることになりました。

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── 料理の先生は、どのように背中を押してくれたのでしょうか。

教室を開きたいという夢を持っていたものの、普通の主婦だった私は、自分が料理教室を開くなんて全然想像できなくて。
当時は、10年ぐらい勉強してから教室をスタートしようと考えていました。

ところがその先生から、「勉強は一生だから、見切り発車でもいいからはじめなさい。修行、修行と言っていたらおばあちゃんになっちゃうよ」と言われ、その数年後に教室を始めることに。
さらに、失敗して学んでいくものだと教わり、「自分は未熟なので、生徒さんたちと一緒に成長する教室です」と、最初に伝えることも大切とのアドバイスももらいました。
教室をはじめたばかりのときは、自宅に友達や先生が紹介してくれた方たちに来ていただく形で開催。
やはり失敗してしまったこともありましたが、失敗した経験は心に深く刻まれるので、それが良い経験となり、生徒さんたちと一緒に成長していくことができました。

試練の時を経て手に入れたもの

戸田 美保子 取材03
── 活動を始めて現在に至るまで、最大の試練だと感じたことがあれば教えてください。

思考錯誤をしながらの前進なので、日々頭を悩ませている状態ではありますが。
ただ、料理教室を維持していく過程で一番大変だったのは、PTAの本部役員を引き受けた時期と、主人が寿司屋をオープンすることになった時期が重なってしまったことでした。
自分の教室を運営しながらも、家に帰ったらPTAの書類作成や店の事務仕事などが山ほどあり、夜中までパソコンに向かっているという状況でしたね。

── 現在の活動を始められて、新たに手に入れたものや変化などはありますか?

人との出会いが一番の財産になりました。
教室には毎回いろいろな人が来てくれて、初めて会う人でもそこで会話が生まれ、自分の知らない世界を教えてもらえるんです。
魚料理を普及させる仲間が増えたことも、モチベーションアップにつながっています。

また魚食普及活動を行う中で、水産庁から「お魚かたりべ」という称号を与えられました。

── 活動をとおして、さまざまな出会いや出来事があったんですね。

そうですね。それに、異業種講習会や経営者グループでの出会いも面白いなと感じています。
ビジネスは、みんなの輪があって成り立っていることがよくわかりました。
活動を始めたことによって、色々な世界を体験させてもらっています。

世界に広がる魚料理普及の夢

戸田 美保子 取材04
── 最後に、戸田さんの今後の夢について教えてください。

近い未来に叶えたい夢は、海外の方向けのクラスを作りたいということですね。
そして、その先の夢として、海外へ行って日本の魚料理を普及させたいという思いがあります。
日本料理自体が無形文化遺産なので、日本の文化として魚料理を世界に広めていければと考えています。

また、子どもと一緒に魚をさばくのも楽しいので、子どもを含めた家族で魚料理に関する何かができたらいいなという夢もあります。

── 戸田美保子さんにとって夢とは
戸田 美保子さんにとって夢とは

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この記事のシャイニスタ

目の前の小さな事をコツコツ積み重ねていったら、いつの間にか人の輪が出来て、大切なものを手に入れる事ができました。どんな事も、楽しむことが一番!
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