お菓子教室Petit Four(プティフール)主宰・北野麻紀子さんインタビュー

シャイニスタNo.008の北野麻紀子さんは、アイシンググッキーやデコレーションケーキ・フラワーケーキなどのお菓子教室を自宅で開く「サロネーゼ」の活動を中心に活躍。 活動を始めたきっかけや乗り越えてきた壁、今後の夢などについて伺いました。
シャイニスタ
北野 麻紀子 (きたの まきこ)
お菓子教室Petit Four(プティフール)主宰

なぜ、あなたは輝きはじめたのですか?

お菓子作家をしていた時、ある女性企業家の方からお菓子教室を開いてみたらとアドバイスされた事があって。
職人畑でやってきたので人に教える自信がなかったんですが、彼女の「やってみないことには誰だって自信なんかつかない。とにかくスタートする事が大切」という言葉に、背中を押されました。

北野麻紀子

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パティシエールの技術を活かして飛躍!お菓子講師・北野麻紀子さん

北野麻紀子 取材01
──現在の活動内容について、教えていただけますか?

自宅をメインに、お菓子教室をしています。
お菓子教室では、クッキーの上にお砂糖でデコレーションしたアイシングクッキーや、誕生日のデコレーションケーキを作ってもらったり、季節ごとにメニューを変えたお菓子を作ってもらったりしています。
曜日は固定せず、生徒さんの希望が入ればスケジュールを組み、最大定員4名までの少人数でアットホームな雰囲気です。
北野麻紀子 活動内容04
また自宅以外でも、お声がかかれば行かせてもらっています。
公民館やマルシェなどのイベントのワークショップ、大津市内の「アミング」という雑貨屋さんに月一回か二回、定期的に呼んでいただいたり。
現在の自宅外での活動場所は、すべて滋賀県内です。

──お菓子教室の講師として活動するに際して、新たに取得された資格はありますか。

20代の時にパティシエールとして働いていて、その頃に取得した製菓衛生師と洋菓子2級技能士という国家資格は元々持っていまして。
パティシエールを辞めた後に、日本サロネーゼ協会という民間団体のアイシングクッキー講師とフラワーケーキ講師の民間資格を取りました。

そしてつい最近、5千人以上いるアイシングクッキー講師のうち120人ほどしか居ない、トップクラスのマスター資格に合格し、講師養成が出来るようになりました。
なので、今後はアイシングクッキー講師の養成にも力を入れていきたいですね。

職人仕事に打ち込み、異業種へも挑戦した20代

北野麻紀子 取材02
──パティシエールになるまでの経緯と、働き始めてから職場を離れるまでの経緯を教えてください。

高校は家政科に通っていたんですが、食物関係のコースを選択していた時にお菓子作りの面白さに目覚めました。
そして高校卒業後、大阪の辻製菓専門学校に一年間通い、その後に京都の個人経営のケーキ店に就職し、19歳から27歳までの8年間勤めさせてもらいました。
パティシエールと言っても、ほとんどが下積みだったんですけれど、本当にたくさんのことを学びましたね。

お菓子の世界は意外と男性社会で、そのパワーとスピードについて行くのがすごく大変で。
朝6時半には出勤して下準備をし、夜8時に閉店後、クリームを絞ったり塗ったりの練習で10時や11時まで残ることもざらにありました。

20代で若かったとはいえ、さすがにこたえてしまったようで…。
腰を痛めたりメンタル的に沈む事が多くなったりと、心身ともに疲弊してしまって、27歳の時に一旦パティシエールを辞めることにしました。
北野麻紀子 活動内容03
──ケーキ店を退職後、何か別のお仕事をされていたんですか?

ずっと働き詰めだったので、一年ぐらいぼんやりと過ごそうと思ったんですが、ただゆっくりするのもなんだしハローワークに行ったんです。
そこで職業訓練の学校を勧められて、まったく畑違いの介護ヘルパー1級の資格を取得し、その後に介護施設で5年間働き、介護福祉士の資格も取得しました。

介護の仕事をしている間に結婚、妊娠があったんですが、切迫流産を経験したことで仕事に復帰するのが怖くなってしまい、介護の仕事も辞めることに。
その後、無事に年子で2人の子どもを出産し、しばらくは育児に専念することにしました。

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この記事のシャイニスタ

お菓子教室Petit Four(プティフール)主宰
北野 麻紀子 (きたの まきこ)
「夢」を持っていると毎日が楽しくなります。「夢」を語れば、「夢」は「目標」になります。腹をくくれば、「目標」は現実味を帯びてきます。 貴女の「夢」は何ですか?
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