日本糀協会副理事・上田倫子さんインタビュー

なぜ、あなたは輝きはじめたのですか?
そんな時、糀(こうじ)の素晴らしさを知り、私の糀ライフが始まったんです。
糀をもっと日本の台所に!糀の伝道師・上田倫子さん
──現在の活動内容について教えていただけますか。
日本糀協会の理事として、日本全国の台所に「糀(こうじ)」を広める活動をしています。主に、糀について正しく伝えていける講師「糀エヴァンジェリスト」の養成、糀の基礎を学べる「糀基礎講座」も担当。
神戸・湊川にある教室や依頼のあった店鋪へ出張して、糀を効果的にお料理に使う方法をお伝えする「糀のお料理教室」を開催しています。
今は糀のお料理教室がメインになっていますが、「手作り石鹸教室」もしています。
実は、最初に始めたのはお料理教室ではなく、手作り石けん教室なんです。
全ての始まりは「家族への想い」から
──最初に「教室」を始めたきっかけについて教えてください。
私には子どもが2人いるんですが、上の娘の肌が弱かった事もあり、石鹸の作り方を勉強し始めたんです。
材料を慎重に選んで手作りした石鹸のおかげで少しずつよくなって行く娘の肌を見て、「使う材料を知る事の大切さ」を真剣に考えるようになりました。
そして、他の母さんにもその事を伝えていきたいなと。
それで、石鹸作り教室を始めたいと考えるようになりました。
──そこから実際に手作り石鹸教室をオープンするまで、どれくらいかかりましたか?
準備期間は3年ですね。
それまでの期間は、お友達を家に招いて作り方レッスンをしたりしていました。
──出産される前は、何か別のお仕事をされていたんでしょうか。
料理が大好きだったので、調理師の専門学校を卒業後、イタリアンレストラン、ケーキ屋さん、カフェ等で調理師として働いていました。
ただ、飲食業界は土日が休みというわけではないので、なかなか大変で…。
子育てしながら飲食業界で働く事は、とても難しいのではないかと感じていました。
結婚して子どもがいないうちは飲食業界で働いていたんですが、シフト勤務で 帰宅時間が9時をすぎるような日常でした。
主人はサラリーマンなので、7時頃には帰宅。生活時間がすれ違う事も多くて。
妊娠をきっかけに、働き方も考えないとと思うようになり、仕事を辞めて家庭に入りました。
──一度専業主婦となったものの、そこからまた何かを始めようと思ったのはなぜですか?
出産前から常々何かしたいというのは思っていましたが、どんどんお腹が大きくなって思うように動けず、何から始めたらいいのか本当に手探り状態。
「飲食店で働くこと以外で、私には何ができるのだろう」と、ずっと考えてはいました。
なので、先ほどお話しした石鹸の事をきっかけに、教室を始めるべく動き始めました。2人目の子どもが6ヶ月のときでした。
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