【不妊治療をやめた後の人生】ざわつく心をみんなはどうしてる?

不妊治療をやめた後、子どもをあきらめた後の気持ちはどうなるのかを、自身が治療の末に子どもをあきらめた経験のある「不妊カウンセラー」永森咲希先生に伺いました。 その後の日常生活で、ざわつく心をどうすればいいのかのヒントをご紹介します。
妊娠・出産
永森咲希 (ながもり さき)
不妊カウンセラー
不妊治療 やめた

我が子の命を宿し、産み、育てたいという願いは、本来はごく自然で平凡な願いのはずです。
ですがその平凡な願いが、どんなに歯を食いしばってがんばっても、どんなに治療を受けて努力しても、叶わない現実があるのも事実です。
むしろ、妊娠を希望する年齢が高齢化している現代では、治療を受けても妊娠に至らない方も多いのです。

治療をやめた後の気持ち

気持ち

私自身6年間の不妊治療を経験し、最終的には治療をやめて子どもをあきらめましたが、当時、あきらめた後どんな気持ちになるのか見当もつきませんでした。
子どもをあきらめた後、元気に人生を謳歌している人の話は、耳に入ってきませんでしたから。
「治療をやめた人たちは、どこでどんな風な気持ちで暮らしているんだろう」とよく考えていました。

大変な治療は、希望があるからこそがんばれるわけです。治療の終結はその希望を手放すこと。
なんとも言いようのない感覚に襲われました。むなしさ、切なさ、悲しさ、憤り・・・。

治療をやめた頃は、病院通いもしなくていいし体温も測らなくていい、スケジュールも組まなくていいわけで、ある種の煩わしさからは解放されてほっとした気持ちもありました。
ですが、前述のような感情に加えて、自分の中にぽっかり大きな穴が開いたような、抜け殻のような感覚も大きく、それを持て余していましたね。

治療をやめるということは、希望の他に、目標や期待した命を失うこと。大きな喪失を意味するわけです。
つまり「やめた」時期は、大きな喪失の時期。
もちろんその方によって、「治療をやめたら本当にすっきりした」「やりたいことをすぐにでも始めたい」と気持ちをすぐに切り替えられる方もいますが、「あきらめてもすっきりしない」「なんとなく鬱っぽい」「突然涙が溢れてくることがある」「悲しくてしょうがない」といった方がいらっしゃるのも、大きな喪失の時期であるとすると自然なことなのです。

治療に努力した自分を労いながら、希望や目標を失った悲しみを受け入れる時期。
ですから、決して元気のないご自分を「こんな自分じゃだめだ」などと思わないようにしていただきたいと思います。
リハビリ期間だと思って、治療のためにできなかったことに時間を費やしてみる等して、狭くなっていた視野を少しずつ広げるつもりで、自分を意識的にいたわる時間を持つようにしていただきたいですね。

また、子どもができなかった自分を責める気持ちになりがちですが、この気持ちも意識的に封印し、その日まで頑張った自分に拍手を贈ってあげるように、ご自身に向けて優しい気持ちを持つような心がけも大事でしょう。
自分の最大の味方は自分でもありますから。

日常生活での心の揺れ

不妊 心

子どもをあきらめたら、子どもを願ったその思いは消えてリセットされるものでしょうか。
私は、私自身の経験からも相談者の方々のお話しからも「ノー」だと感じています。
強く願ったその思いを簡単に、しかも100%消し去ることなどできないのではないでしょうか。
子どもをあきらめても、その先長い人生が続きます。
何かの折に「自分には子どもがいない」という事実を意識させられる局面がきっとあるでしょうから。

最近カウンセリングや茶話会にいらっしゃる方の中に、Facebookで子どもの様子の投稿を見るのが辛いという方がいらっしゃいます。
このSNS時代にとても難しいことですが、どうしても心がざわつき辛いという方は、「見ない」工夫をなさるのも重要な対処法です。

「仲のいい友人の投稿だから見てあげないと・・・」とおっしゃった方がいましたが、それよりまず、大きな喪失を抱えたご自分の心を守る必要があることに気づいていただきたいですね。
つまり「無理はしないこと」です。

大きな怪我をした時、お風呂に入れば傷口が飛び上がるほど沁みる経験をされたことはないですか。無理に入れば雑菌が入り化膿したりもします。
傷口がじくじくしている時はお湯にはつけず、少しずつ瘡蓋(かさぶた)になってきてから入りませんでしたか。体の傷にしみるのも、心にしみるのも「沁みる」と書きます。
心も同じなんですね。

友人の投稿を見られない自分が悪いのでもなく、人間として器が小さいのでもありません。そこに傷があるだけ。人の生体反応です。
早くお風呂に入れるようになる人もいれば、時間がかかる人もいるということです。
傷は大事に癒しましょう。

ざわつく心をどうするか?

不妊 対処

子どもをあきらめたという事実を受け入れて自分らしさを取り戻し、普段は楽しく元気に笑いの多い日常を暮らしていたとしても、たまにふとしたことをきっかけに、思い出したり、なんだか寂しくなったりすることが私はあります。
ですがこれも、切望した命をあきらめたのですから自然なことだと思っています。

老後に向かい歳を重ねるにつれ、ちょっとした今の寂しさも今より深くなるのかもしれません。
それはわかりませんが、人生最期を迎える時まで、こうした思いや感覚を抱えながら生きていくのではないかなと私自身は思っています。
抱えていくならば、辛い思いのまま抱えるのではなく、大切なものとして大事に抱えながら豊かに生きたい。
それには、子どもがいないことと上手に折り合いをつけていくことが最も必要なことかもしれません。
「折り合いをつける」という言葉は簡単に使われますが、実はとても難しいこと。

私の場合は「なんだか寂しいスイッチ」「なんだか悲しいスイッチ」がオンになった時には、その気持ちを打ち消そうとせずに「今はそんな時期」と自分の心に寄り添い、何事も無理をしないようにしています。
海で波待ちをするサーファーのように、小さな来る波を、その都度体を預けてスッとやり過ごすようなイメージをもって、その時を過ごしています。

「スイッチ入った」と夫に言うと「おっ、入ったか」などと笑いながら、私の頭に手を置いたり、肩に手を置いたりして、暗黙に(やり過ごせ)と言うメッセージを送ってきます。
長年不妊治療を共に闘った同士だからこそ、喧嘩をしながらも思いを伝え合い続けてきたからこそのやりとり、絆を感じますね。

こんな風にスイッチがオンになった時は、映画を観る、思いきり体を動かす、静かに読書に集中する、飲みに行く、お墓詣りに行く・・・等々、自分に合った秘策を探すのもよいかもしれません。
スイッチがオフになった時、元気な自分、自分のことが好きな自分でいられるように。

不妊 共感

そんな秘策のひとつとしてご紹介したいのは、同じ体験をした人、同じ環境にある人と話しをするということ。
私たちMoLive(モリーヴ)では、そのようなわかち合いの会(茶話会)を定期的に開催しています。
「不妊治療からの卒業を考える会」「卒業生(子どもをあきらめた方々)の会」に加えて、「流産をされた方々のための『天使を思う会』」の3つのテーマを月毎に設定しています。

月1回の2時間程度、進行役の不妊カウンセラーとともに、4~6名の少人数でお茶を飲みながら、素直な気持ちを話したり聞いたりしていただく会です。
知らない人同士だからこそ素直に話せることってあるんです。
話すことによって頭が整理されたり、他の方の話が参考になったりする等、参加された方々の多くは「参加してよかった」とおっしゃいます。

「子どもはあきらめたはずなのに時にざわつく気持ち」というテーマの会に参加を申し込まれた方の中には、55歳以上の方もいらっしゃいました。
そのくらいの年代になると周囲にお孫さんができはじめ、時に心がざわつくことがあるとのことでした。
日頃は普通に暮らしていても、どこかにそんな感情を抱えていくものなのかもしれません。

けれど、そういう思いは、子どもができなかった人たちだけが抱えるものではないはずです。
世の中には病気や事故でお子さんを亡くした方、パートナーを失った方、健康を失くした方等々、大きな喪失を抱えている方はたくさんいらっしゃいます。
それぞれ皆さんがその喪失と折り合いをつけながら懸命に生きていらっしゃるということを忘れないようにしたいと私自身は思います。

記事を書いた人

不妊カウンセラー
永森咲希 (ながもり さき)
自身の不妊治療や子どもをあきらめた経験を綴った書籍を出版。不妊の悩みや葛藤を抱える人々の心に寄り添うメンタルケアが評判。
不妊治療 やめた
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