不妊の辛い思いと上手に向き合うには?負担を軽くする心の整理術

不妊治療が実らず、不妊の辛さに悩んだときの対策法をご紹介。 何が心の負担になっていて、それを取り除くにはどうすればよいかなどを、不妊カウンセラーの永森咲希先生が、自らの不妊治療の経験を生かしながら丁寧にアドバイスします。
妊娠・出産
永森咲希 (ながもり さき)
不妊カウンセラー
不妊 辛い

不妊治療が長くなり、なかなか赤ちゃんを授からない場合、女性はさまざまな辛さに悩みます。
そして、気持ちを切り替えようといろいろな情報を参考にしたけれど上手くいかず、さらに落ち込むという方も多いようです。

そこで今回は、不妊の辛さと上手に付き合うための心の整理術をお伝えします。
何が自分の負担になっているのかをひとつずつ確かめ、いらないものは捨てて、心を軽くしていきましょう。

不妊の辛さと上手に付き合う方法

気持ちの整理をする

取捨選択をする

不妊の悩みは特有で多岐に亘ります。そしてさまざまなストレスに見舞われます。
ですから、自分にとって何が負荷になり、何が癒しになるかを見極め、日常生活の中で取捨選択をするのもひとつの方法です。

治療中は自分たち夫婦のことに集中したい時。面倒な人づき合いは思い切って控える、仕事が増えそうだったら無理して引き受けずに適した理由を見つけて誠実に無理を伝える、家事も完璧にやらずいい加減(良い加減)にする、お正月親戚の家に行きたくなければ行かないなど、さらにストレスになりそうなことは工夫して切り離してみてください。
そして、意識的に自分の好きなことやほっとすることに時間を費やすように、タイムマネジメントしてみるといいでしょう。

よく「何をしたらこの辛さから解放されますか?」というご質問を受けることがあります。
もちろん一時的に気持ちが和んだりすることはあるでしょうが、何かをしたからといって簡単にこの辛さがなくなるということはない気がします。
もしその何かがあったら、皆さんそれをしてらっしゃいますよね。
得策がないならば、ただただ「辛い、辛い」という思いに飲み込まれてしまわずに、「今はどうしても辛い時期なんだ」と自覚し、辛い生活とうまく折り合いをつけるために自分なりの工夫を考えてみることも大事だと思います。

自分を否定する辛さを捨てる

子どもができない辛さには、「子どもが欲しいという純粋な望みがかなわない辛さ」だけでなく、「自分を否定する辛さ」も含まれるようです。

望みが叶わないだけでも辛いことなのに、それに加えて、「みんな普通におかあさんになっているのに、私は違う」「女なのに子どもができないって・・・」「人を育てて一人前じゃないのかな」などと、自分を否定してしまう方は多いものです。

この二つの辛さを切り離し、自分を否定する辛さは捨ててしまいましょう。
子どもの有無は、その方の人間性とはまったく関係がありません。そのことを自分によく言い聞かせてあげることが大切です。
あなたは今悪いことをしていますか? 恥ずべきことをしていますか? 違いますよね。平凡な望みに向かって一生懸命に努力しているだけです。

人生を真摯に考え、命を大事に考え、涙ぐましい努力を重ねているわけです。決して恥ずべきことではありません。
ですから、自分を情けなく思ったり、自己否定する必要なんてないのです。

「不妊」ではなく「希妊」

イメージを変える
「不妊」という字からもたらされるマイナスイメージが、いつのまにか女性たちの心に、ストレスやダメージを与えている可能性もあります。

不妊の「不」という字は、
不満足…満足できない、不評…評判が悪い、不義理…義理を欠くなど、「できない」「悪い」「足りない」といった否定につながります。
そうなると、「不妊」という言葉が人に与える影響も想像ができますよね。
「私って不妊なの?」と思った段階、つまり治療を始める前から「私はだめ」というバツ印の烙印を押されたような感覚になってしまうのではないでしょうか。

ですが本来は、これから赤ちゃんを授かるために、これから幸せを手に入れるために、希望をもってスタートするべきことです。

それなのに「不妊」という言葉のために、「あなたは悪い状態なんですよ」と無意識のうちに洗脳され、赤ちゃんができない心の辛さを、さらに重くしているのが現状。
「不」という文字を使うことで、自己否定したり、ママになれないことを悪いことのように感じたりして、一層落ち込んでしまう原因になりかねません。

そこで、自分だけでも、「不妊」「不妊治療」ではなく、「希妊」「希妊治療」という呼び方に変えてみてはどうでしょう?
心を重くする「不」を捨てて、明るい「希」を持てるように。

頑張りが報われない辛さの対処法

対処方法

親の立場から大事なことに気づく

私自身が体験したことについて、ここで触れさせてください。

私はひとりっ子のひとり娘です。
私が子どもを産まなければ、私の両親は孫のいない人生を生きることになります。ですから、治療のことはすべて話していました。
私には、一度妊娠して心拍まで確認できたもののその後流産してしまった経験がありますが、そのことも両親は知っていました。随分心配していましたね。
ですから、治療をやめたことも報告しに行ったんです。
その時のことです。

「あのね。私、もう治療、やめた」そう伝え、今まで見守ってきてくれたことに感謝し、「ごめんね。孫を…」そう言いかけた時のこと。
母が子どものように泣きじゃくりながら、こう言ったんです。
「あなたがいてくれたらそれでいい」
「あなたさえ元気でいてくれたら、わたしたちはそれで十分」
そう言いながら、涙を流し続けた母。あんな母を見たのは初めてでした。

その時、頭を殴られたような気持ちになりました。
私も望まれて、心待ちにされてこの世に誕生したということを忘れていたのです。
それどころか、人生に意味を見出せないなどと思ってみたり、自分のことを否定したり、卑下したりしていたわけです。
私もほんの僅かでしたがお腹に命を宿した経験があります。
もしその子がこの世に生まれ、女性として成長し、私のように子どもができないことで自暴自棄になり、自分を卑下したとしたら、私はいったいどんな風に思うだろうと考えてみました。
こんなに悲しいことはないなと、私自身も涙がとまりませんでした。

このことが私を大きく変えてくれました。
「自分の人生を大事にし、納得した満足のいく人生を生き抜きたい」、そう思うようになりました。私の命も大事だったのです。

「生かされている」という意識を持ってみては?

見方を変えてみる

世の中にはさまざまな問題を抱えている方、さまざまな喪失を経験した方がたくさんいらっしゃいます。
健康を失い闘病生活を続けなければならない方、愛する子どもを失った方、信頼のおけるパートナーを失った方、災害で家族すべてを失った方・・・。
その喪失の悲しみはその方でないとわからないもの。ですから、人と比較するべきことではないと思いますが、人はさまざまな喪失の中で生きているものなのかもしれません。

子どもを持てなかったこと、つまりそれは、子どもを産み育てる夢の喪失。大きな大きな喪失です。
ですが、「なぜ自分だけが?」と嘆き続けてしまいそうになったら、ふと立ち止まって考えてみていただきたいと思います。
私たちは皆、思い通りにならない人生を“生かされている”のかもしれないということを。

なかなか妊娠に至らないとなると、どうしても「報われない」という意識がはたらきがちです。
ですが、この“生かされている”という意識が頭の片隅にあることで、俯瞰的に自分を見ることができるようになるかもしれません。

記事を書いた人

不妊カウンセラー
永森咲希 (ながもり さき)
自身の不妊治療や子どもをあきらめた経験を綴った書籍を出版。不妊の悩みや葛藤を抱える人々の心に寄り添うメンタルケアが評判。
不妊 辛い
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